母校である群馬県の前橋東高等学校の同窓会から、会報に寄稿を、ということで原稿の依頼がありました。去年の会報は、開館記念展に出品してもらった藤原泰佑さんでした(重なっていないのですが、同窓)。美術が続く。
会報は聞くかぎり発行済みで、実家に届いていると思われ現物を確認できていないのですが、せっかくなので、高校時代(20年前!)を振り返って書いたものをここに載せます。いわば暗黒時代。その未来、学芸員という仕事があって、それに従事するなんて、思ってもいなかったあの頃のこと。
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私の高校時代・以後
この度「私の高校時代」というお題をいただき、今や20年近く前となった高校時代を思い返しても、残念ながら当時の友人たちとは今やほとんど会うこともなく、また、私が今している仕事と高校での学業についてもまったく関係がなく、頭を悩ませましたが、高校卒業後のことをここでは書かせていただきたいと思います。
私は現在、2017年4月にグランドオープンした太田市美術館・図書館で学芸員の業務に従事しています。学芸員という言葉・仕事に馴染みがない人がほとんどかもしれませんが、展覧会をはじめとする、美術館で美術にまつわる仕事に従事する専門職です。美術品や文化財の調査・研究、展覧会の企画立案、ワークショップなどを通した教育普及活動などを行います。ただ、私は高校時代、学芸員という仕事があることを知りませんでした。
そのような私がなぜ今この仕事に就いているか考えると、大学時代の恩師の顔が、特にふたり、思い浮かびます。一人は、日本美術を専門とする美術史家で、ユニークな切り口で、日本美術という縁もゆかりもなかった学問への扉を拓いてくださいました。もう一人は、書を専門とする学芸員で、その先生は学芸員資格取得のための講義で、美術館とはどうあるべきか、ということを真剣に学生たちに問いかけ、ともに考えてくださいました。私は一浪しており、県下の予備校に一年間通ったのち、明治学院大学文学部芸術学科に入学したのですが、それも、もう一つ合格した大学と比較して、「こちらの方が、大学生活が楽しそう」という到底学業に対して真剣な心持であったとは、振り返れば思えません。ただ、小さい頃から絵を描くことが好きだった私は、「たまたま」その大学に入学し、「たまたま」将来を決定づけるような人との出会いをし、それならばその人たちもいる場所(領域)で仕事をしたいと思い、大学院修了後から美術の仕事に従事しながら、現在は郷里の前橋とも近い太田で仕事をしています。人生とは不思議なものだと思いますが、恩師だけではなく、美術作品という「物言わぬものたち」と向き合ったときにしばしば湧き起こる感動が、わたしをこの場所に居続けさせます。
このように振り返ると、高校時代を特に目的もなく漫然と過ごしてしまったことが、つまり、まるで空っぽな自分に対する焦燥感のようなものが、大学に入学してから、目の前にあらわれた美術へとすっと向わせてくれたとも言えます。無目的であることは決して悪いことではなく、それは新しいどこかへ向かうための準備段階だと今は思えるのです。
会報は聞くかぎり発行済みで、実家に届いていると思われ現物を確認できていないのですが、せっかくなので、高校時代(20年前!)を振り返って書いたものをここに載せます。いわば暗黒時代。その未来、学芸員という仕事があって、それに従事するなんて、思ってもいなかったあの頃のこと。
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私の高校時代・以後
この度「私の高校時代」というお題をいただき、今や20年近く前となった高校時代を思い返しても、残念ながら当時の友人たちとは今やほとんど会うこともなく、また、私が今している仕事と高校での学業についてもまったく関係がなく、頭を悩ませましたが、高校卒業後のことをここでは書かせていただきたいと思います。
私は現在、2017年4月にグランドオープンした太田市美術館・図書館で学芸員の業務に従事しています。学芸員という言葉・仕事に馴染みがない人がほとんどかもしれませんが、展覧会をはじめとする、美術館で美術にまつわる仕事に従事する専門職です。美術品や文化財の調査・研究、展覧会の企画立案、ワークショップなどを通した教育普及活動などを行います。ただ、私は高校時代、学芸員という仕事があることを知りませんでした。
そのような私がなぜ今この仕事に就いているか考えると、大学時代の恩師の顔が、特にふたり、思い浮かびます。一人は、日本美術を専門とする美術史家で、ユニークな切り口で、日本美術という縁もゆかりもなかった学問への扉を拓いてくださいました。もう一人は、書を専門とする学芸員で、その先生は学芸員資格取得のための講義で、美術館とはどうあるべきか、ということを真剣に学生たちに問いかけ、ともに考えてくださいました。私は一浪しており、県下の予備校に一年間通ったのち、明治学院大学文学部芸術学科に入学したのですが、それも、もう一つ合格した大学と比較して、「こちらの方が、大学生活が楽しそう」という到底学業に対して真剣な心持であったとは、振り返れば思えません。ただ、小さい頃から絵を描くことが好きだった私は、「たまたま」その大学に入学し、「たまたま」将来を決定づけるような人との出会いをし、それならばその人たちもいる場所(領域)で仕事をしたいと思い、大学院修了後から美術の仕事に従事しながら、現在は郷里の前橋とも近い太田で仕事をしています。人生とは不思議なものだと思いますが、恩師だけではなく、美術作品という「物言わぬものたち」と向き合ったときにしばしば湧き起こる感動が、わたしをこの場所に居続けさせます。
このように振り返ると、高校時代を特に目的もなく漫然と過ごしてしまったことが、つまり、まるで空っぽな自分に対する焦燥感のようなものが、大学に入学してから、目の前にあらわれた美術へとすっと向わせてくれたとも言えます。無目的であることは決して悪いことではなく、それは新しいどこかへ向かうための準備段階だと今は思えるのです。