KOGANEZAWA SATOSHI
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12/26/2014

 
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12月23日(火祝)、日本画家の金子富之さん(1978年生まれ)との対談のため、喜多方へ行ってきました。「森のはこ舟アートプロジェクト」の一環として大和川酒蔵(酒蔵!)の一部を会場にして行われている個展「森と人のミステリウム(現代絵画表現から元型(古代型)への回帰)」関連イベントです。

対談の詳細は、なかなか全容を言葉にしがたいところがあるのですが、いわゆる美術関係の対談でよくある展覧会内容についての話にとどまらず、金子さんが作品を作る前提として備えている気質のようなものに触れる時間がむしろメインだったように思います。それは対談中に金子さん発案で設けられた「森への質問」といった参加者が個々で「森に何かを聞いてみる」という時間であったり、合気の実演だったりして(私は技をかけられました)、私は、金子さんによって対談の自由さを知りながら、ああこういう人だからこういう作品が生まれるのだと思いました。

金子さんの作品は、一見、おどろおどろしく、オカルティックで、時に目をそむけたくなるようなものが描かれています。そのまなざしは、妖怪であったり、精霊であったり、神仏であったり、すなわち一貫して「目に見えないもの」に向けられていますが、それらを具現化し、絵として強いものにするためのいわば「想像力」のベースに、各種文献や過去のイメージの研究による知識の蓄積があり、それが作品になによりの強度を与えているように思います。これは、私がはじめて金子さんの作品を個展で見た日本橋髙島屋美術画廊X(2011年)の際も、さらには今回の個展でも展示されているおびただしい数のアイデアノート(展示ではコピー)からもうかがえるものです。そして、とりわけ近年の作品を見ていると、金子さんの作品は、仏画や仏像等、宗教美術との関係性から、しっかり考えないといけないのだろうなと思いました。それはつまり、「不可視の神を象る」とはどういうことか、ということにほかなりません。

金子さんの個展は12月28日(日)まで開催されています。私が行ったときは前日大雪だったようでとても美しい雪景色、さらには喜多方には美味しい喜多方ラーメンや日本酒(蔵が10軒!)など楽しみどころ多数です。なかなかこの規模の個展は見られないと思いますので、お時間ある方はぜひ。

金子富之さんの展示の詳細はこちら


http://www.morinohakobune.jp/news/20141203.html

私は東京から新幹線を使いましたが、バスだと安い&直通もあって行きやすそうです


http://time.jrbuskanto.co.jp/bk020060.html

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12/18/2014

 
先日、茅場町の森岡書店へ中谷ミチコさんの個展を拝見しにうかがったところ、興味深いを本を見つけたので求めました。

THE 26 MARTYRS OF NAGASAKI
LOS 26 MARTIRES DE NAGASAKI
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彫刻家・舟越保武(1912-2002)による、1597年2月5日(慶長元年12月5日)、長崎・西坂の丘で殉教したキリシタン26人を主題にした、《長崎26殉教者記念像》(1962年)の写真集です。興味深いと書いたのは、この本が英語/スペイン語の二カ国語で表記されていることで、日本語はありません。しかし出版社は美術出版社です。掲載されている3つのテキストの日本語のコピーが同封されていたので、日本語の写真集があって、さらにこの英語/スペイン語の写真集が出たということなのでしょうか。刊行は1963年で、3つのテキストは以下のとおりです。

ハーバード・チースリク「長崎26殉教者のこと」
今泉篤男「舟越保武氏の「26殉教者」記念碑」
舟越保武「26殉教者像の制作を終えて」

今年の春、東京オペラシティアートギャラリーで「[特別展示]舟越保武:長崎26殉教者 未発表デッサン」展(2014年4月19日〜6月29日)が開催され、制作にあたってのデッサン98点が展示されていました。素晴らしい展覧会だったのですが、私はまだ長崎の現地で作品を見たことがありません。いつか日本二十六聖人記念館へ行きたいと思っていましたが、この二カ国語の写真集を手に取りながら、その思いを強くしました。舟越保武は上記のテキストの中でこう書いています。

「作品は、完成したとき、作者からはなれて独立して生きる。今や像はそれぞれの人格をそなえているように思われる。
除幕式を終えて天草へ行き、そのまま東京へ帰る予定だったが、どうしても、もう一度像を見たくなって、また長崎へ戻った。そのときは雨が降っていて、彫像は雨にぬれていた。3人の少年の顔に流れる雨滴が私の心に焼きついてはなれない。これ程に去り難いものとは思わなかった。
現実に見るすべもない365年前の殉教者たちの風貌と気品に、少しでも近づけようと素朴な努力をした一人の信仰浅き彫刻家の仕事を寛大な眼で見ていただけるなら幸せである」

「どうしても、もう一度像を見たくなって」というところに、既に作品が自分から独立しながら、分かち難いものを感じている彫刻家の気分があらわれているように思えてなりません。

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