KOGANEZAWA SATOSHI
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5/30/2020

 
来週の授業準備のため朝から昼にかけて大学へ。他に予定もないため、準備がはかどる。

そもそもこれまで休日は美術館やギャラリーへ行っていたので、外出の「自粛」を要請されてしまうと、休日にしたいことができない。しなければならないことは沢山あるが、それをするまで気持ちを持っていくには、したいことをしないと気力がもたいないということがある。これまで購入した作品が家にあるのがせめてもの救いで、家では作品を飾り、見るとなく見ている。「STAY HOME」になってからも、美術家の青山悟さんの作品と、イラストレーターのわかるさんの作品を購入。いずれもオンラインで発表されたものだ。作品を見る喜びは変わらない。

夜は、先週土曜日に引き続き、絵について話すオンラインの場があった。この会には名前がなく、私だったらすぐ名前をつけてしまいそうになるが、名前がないところがまたいいのかもしれない。今日は抽象絵画がテーマだった。

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5/30/2020

 
本日付で、山形市から特別定額給付金が振り込まれた。

日中は大学へ。美術科3年生対象の「ポートフォリオ研究」という授業があり、日本画コースでは三瀬先生が主担当で、私もともに担当している。「自分の作品をどうまとめるのか」ということが、「誰・どこに向けてのポートフォリオなのか」という対象の設定に基づいた編集が必要であるということを、三瀬先生と私で事例を見せながら話をする。アーティストとしてのそれは仕事柄目にする機会が多いが、企業向けのそれは私としても新鮮で興味深い。私からは、「ポートフォリオ」からは若干飛躍をさせて、アーティストの作品集やカタログを事例として参照した。河原温、諏訪敦、大小島真木、星野眞吾、金子朋樹。それらはいずれも「自作をどう伝えるのか」という点に力が注ぎ込まれている。そこまでいきなりたどり着けはしない。けれどもそういう場所があることを知ってもらいたい。

夜はスズラン通りへ繰り出す。店は開き始めているが多くなく、店内はソーシャルディスタンスの考慮や、オープン時間の変更、メニューの削減などが行われたりしているようだ。状況はいまだ厳しい。

この日記は一ヶ月を超え、自分自身忘れたことが書かれている。昔の自分は他人のようでもある。

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5/28/2020

 
昨日に引き続き3年生の「画像で描く」小下絵研究会。作品の話を聞くのはやはり楽しい。

終了ののち、1年生対象の「日本画考」でレクチャー。内田あぐりさん、佐藤直樹さん、諏訪敦さん、東信さん、大小島真木さんの作品を例に、美術史へのアプローチをはじめ、制作がどのような思考のもと行われている(と考えられる)のか紹介を行う。ただ、時間配分と、リモート授業における小レポート課題提出の方法がうまくいかず、学生に大きな負担をかけしまい反省。紹介した作家も、そもそもひとりひとりが、時間みっちりを話をしても足りないほどの方々。今後も気をつけないといけない。

帰宅すると「アベノマスク」が届いていた。

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5/27/2020

 
早朝、これから開催予定の展覧会図録への寄稿をお願いしている方から原稿が届く。素晴らしい文章で元気が出る。素晴らしいものは私を勇気づけると実感する。

そういえば昨日の飲み会で友人のひとりが「これが私の人生なんだ」というようなことを何気なく言って、はっとするような思いがした。それは何か特別な文脈であったり、ハードな話題でのことではなく、本当に何気ない話題、タイミングでのこと。30数年生きていると、さすがに自分の気質のようなものがわかってきて、それは人生のところどころで起きる選択(選択しないということも含めて)を左右するのだということ。発せられたその言葉は諦めのようにも似て(実際そういうニュアンスも含んでいるように思われた)、しかし抗えない自分という存在を認めるという点で、美しい言葉だった。

今日・明日と「画像で描く」の小下絵研究会。ズームでコンセプトシートや画像を共有しながら進む。小下絵段階であればこのやり方はむしろいいかもしれない。

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5/26/2020

 
3年生の「画像から描く」がテーマの演習でレクチャー。「イメージの伝播・継承・展開ー日本美術の視点からー」と題して、古美術から現代美術まで、あるイメージがどのように伝播し、継承され、展開したか話す。

夜、昨日ビデオ通話をした友人にさらに3人が加わって、5人でビデオ通話。2006年頃のことだったと思うが、ある美術館の看視のアルバイトをしていた当時20歳そこそこから30歳手前くらいの我々は、17時の仕事終わりに近くの中華に行き、餃子を頬張りビールを飲んで、よく酔っぱらったものだった。
私は大学院生で、そのアルバイトはまる1日働いて6,000円程度の給料で、しばしばそのほとんどを終業後に使ってしまうということをしていたんだと思う。そのなんでもない時間をこれまで特に思い出すこともなかったが、思い出してみると、なかなかよい時間だったのだなと感じる。現在は愛媛、東京、千葉、栃木、山形と住まいは本当にバラバラになった。「今度は会おう」と別れた(「退室した」)けれど、会えるかどうかはわからない。

​でもそうやって約束をするというのはいいものだ。実現するかどうかは別にして、そんなことがあるかもしれないという思いは、ひとを生かすかもしれない。
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    ・「山形日記」(2020/4/28-)

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