The Massにて開催される、フラワーアーティストの東信さんが率いるAMKK(東信、花樹研究所)企画による展覧会「戦争と花」に協力しています。
以下、展覧会についてのテキストです。会場では、3つのセクション(「戦場と花、祈りと花」「死者へ手向ける花」「兵士と花」)の解説も担当しています。
ご一読いただき、ぜひ会場に足をお運びいただけましたら幸いです。
「戦争と花」
会期:2018年7月20日〜8月15日
会場:The Mass
住所:東京都渋谷区神宮前5-11-1
電話番号:03-3406-0188
開廊時間:12:00〜19:00
休廊日:火、水(8月14日、15日は開廊)
http://themass.jp/
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「戦争と花」に寄せて
去る2015(平成27)年は、第二次世界大戦後70年の節目として、美術においてもそれが戦争といかなる関係を結んでいたのか、展覧会や書籍などのさまざまなメディアを通して多くの検証がなされた年だった。たとえば絵画においては、戦時中、国民の戦意高揚のために描かれた戦争画は言うに及ばず、戦後においても戦争を主題とした作品は少なくなく、美術家たちによって残されたそれらの仕事は現在のわたしたちに今なお戦争の苛烈な現実を突きつけ続けている。ただそのとき気をつけなければならないのは、それらの作品にこめられた主題(メッセージ)は、戦意高揚や反戦・厭戦というわかりやすい立場・思想をあらわすものばかりでは決してなく、一見どちらかの態度に対して明解なイメージであるように見えても、そこには当時の状況に身を置かなければ到底知りえない複雑さが内包されている可能性があるということだ。戦時に生きていたからこそ読み解くことができるイメージ。現在を生きるわたしたちはどれだけそこに近づくことができるのだろうか。またそのことはわたしたちに、現在も終わることなく世界各地で行なわれている戦争に対してどのような視座をもたらすだろうか。
さて、絵画にかぎらず、彫刻、写真、映画、文学などのいわゆる芸術表現と戦争との関係が問われ、研究が多方面で重ねられるなかで、はたして「花」という視点から戦争を検証する研究は行われてきただろうか。本展「戦争と花」は、戦争における花のイメージを、「戦場と花、祈りと花」「死者へ手向ける花」「兵士と花」の3つのセクションに振り分けられた写真作品89点(予定)によって考察する、過去類例を知らない試みである。
ユニークなのは、それがオートクチュールの花屋JARDINS des FLEURSの店主であり、フラワーアーティストの東信が率いるAMKK(東信、花樹研究所)の主催によって行われるということだ。東らは、かねてから戦争と花をめぐるイメージを蒐集しており、さらに本展開催にあたってマグナム・フォト、朝日新聞社、共同通信の協力を得ながら、花に特別な意味が担われていると認識できる写真を取り集めた。その動機の根底にあるのは、戦争という極限状態において花が人間に対してどのような意味を担ってきたのか、あるいは担われてきたのかという問いであり、花屋及びフラワーアーティストという言葉だけでは称し足りない、花にまつわるあらゆる全てを手中にしようとする東信の学者としての側面がここにはまざまざと発現している。
写真を見よ。なぜ、そのときそこに花があったのか? そしてなぜ写真家は、そのシーンを撮ったのか? 本展で展観される写真のイメージに共通してあるのは、少なくともこのふたつの意味において、戦時、花を求める人間がいたという事実にほかならない。花による美や癒しを求めてのことだったのか、あるいは別の理由があったのか。花は戦時下においてどのような役割を負っていた(負わされていた)のか?
戦争という生死の極点における花と人間をめぐるイメージを展観することは、鑑賞者に対して生と死を同時に突きつけ、その感情を大きく揺り動かすことになるに違いない。苦しさを生じさせることもあるだろう。本展を、たとえ割り切れずとも、それにより生まれた思いを丁寧に見つめることで、戦争の終わらない現在を生きていくためのひとつの視座を獲得する機会にして欲しい。
小金沢智(本展共同キュレーター/日本近現代美術史、美術批評)
以下、展覧会についてのテキストです。会場では、3つのセクション(「戦場と花、祈りと花」「死者へ手向ける花」「兵士と花」)の解説も担当しています。
ご一読いただき、ぜひ会場に足をお運びいただけましたら幸いです。
「戦争と花」
会期:2018年7月20日〜8月15日
会場:The Mass
住所:東京都渋谷区神宮前5-11-1
電話番号:03-3406-0188
開廊時間:12:00〜19:00
休廊日:火、水(8月14日、15日は開廊)
http://themass.jp/
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「戦争と花」に寄せて
去る2015(平成27)年は、第二次世界大戦後70年の節目として、美術においてもそれが戦争といかなる関係を結んでいたのか、展覧会や書籍などのさまざまなメディアを通して多くの検証がなされた年だった。たとえば絵画においては、戦時中、国民の戦意高揚のために描かれた戦争画は言うに及ばず、戦後においても戦争を主題とした作品は少なくなく、美術家たちによって残されたそれらの仕事は現在のわたしたちに今なお戦争の苛烈な現実を突きつけ続けている。ただそのとき気をつけなければならないのは、それらの作品にこめられた主題(メッセージ)は、戦意高揚や反戦・厭戦というわかりやすい立場・思想をあらわすものばかりでは決してなく、一見どちらかの態度に対して明解なイメージであるように見えても、そこには当時の状況に身を置かなければ到底知りえない複雑さが内包されている可能性があるということだ。戦時に生きていたからこそ読み解くことができるイメージ。現在を生きるわたしたちはどれだけそこに近づくことができるのだろうか。またそのことはわたしたちに、現在も終わることなく世界各地で行なわれている戦争に対してどのような視座をもたらすだろうか。
さて、絵画にかぎらず、彫刻、写真、映画、文学などのいわゆる芸術表現と戦争との関係が問われ、研究が多方面で重ねられるなかで、はたして「花」という視点から戦争を検証する研究は行われてきただろうか。本展「戦争と花」は、戦争における花のイメージを、「戦場と花、祈りと花」「死者へ手向ける花」「兵士と花」の3つのセクションに振り分けられた写真作品89点(予定)によって考察する、過去類例を知らない試みである。
ユニークなのは、それがオートクチュールの花屋JARDINS des FLEURSの店主であり、フラワーアーティストの東信が率いるAMKK(東信、花樹研究所)の主催によって行われるということだ。東らは、かねてから戦争と花をめぐるイメージを蒐集しており、さらに本展開催にあたってマグナム・フォト、朝日新聞社、共同通信の協力を得ながら、花に特別な意味が担われていると認識できる写真を取り集めた。その動機の根底にあるのは、戦争という極限状態において花が人間に対してどのような意味を担ってきたのか、あるいは担われてきたのかという問いであり、花屋及びフラワーアーティストという言葉だけでは称し足りない、花にまつわるあらゆる全てを手中にしようとする東信の学者としての側面がここにはまざまざと発現している。
写真を見よ。なぜ、そのときそこに花があったのか? そしてなぜ写真家は、そのシーンを撮ったのか? 本展で展観される写真のイメージに共通してあるのは、少なくともこのふたつの意味において、戦時、花を求める人間がいたという事実にほかならない。花による美や癒しを求めてのことだったのか、あるいは別の理由があったのか。花は戦時下においてどのような役割を負っていた(負わされていた)のか?
戦争という生死の極点における花と人間をめぐるイメージを展観することは、鑑賞者に対して生と死を同時に突きつけ、その感情を大きく揺り動かすことになるに違いない。苦しさを生じさせることもあるだろう。本展を、たとえ割り切れずとも、それにより生まれた思いを丁寧に見つめることで、戦争の終わらない現在を生きていくためのひとつの視座を獲得する機会にして欲しい。
小金沢智(本展共同キュレーター/日本近現代美術史、美術批評)