先日、茅場町の森岡書店へ中谷ミチコさんの個展を拝見しにうかがったところ、興味深いを本を見つけたので求めました。
THE 26 MARTYRS OF NAGASAKI
LOS 26 MARTIRES DE NAGASAKI
THE 26 MARTYRS OF NAGASAKI
LOS 26 MARTIRES DE NAGASAKI
彫刻家・舟越保武(1912-2002)による、1597年2月5日(慶長元年12月5日)、長崎・西坂の丘で殉教したキリシタン26人を主題にした、《長崎26殉教者記念像》(1962年)の写真集です。興味深いと書いたのは、この本が英語/スペイン語の二カ国語で表記されていることで、日本語はありません。しかし出版社は美術出版社です。掲載されている3つのテキストの日本語のコピーが同封されていたので、日本語の写真集があって、さらにこの英語/スペイン語の写真集が出たということなのでしょうか。刊行は1963年で、3つのテキストは以下のとおりです。
ハーバード・チースリク「長崎26殉教者のこと」
今泉篤男「舟越保武氏の「26殉教者」記念碑」
舟越保武「26殉教者像の制作を終えて」
今年の春、東京オペラシティアートギャラリーで「[特別展示]舟越保武:長崎26殉教者 未発表デッサン」展(2014年4月19日〜6月29日)が開催され、制作にあたってのデッサン98点が展示されていました。素晴らしい展覧会だったのですが、私はまだ長崎の現地で作品を見たことがありません。いつか日本二十六聖人記念館へ行きたいと思っていましたが、この二カ国語の写真集を手に取りながら、その思いを強くしました。舟越保武は上記のテキストの中でこう書いています。
「作品は、完成したとき、作者からはなれて独立して生きる。今や像はそれぞれの人格をそなえているように思われる。
除幕式を終えて天草へ行き、そのまま東京へ帰る予定だったが、どうしても、もう一度像を見たくなって、また長崎へ戻った。そのときは雨が降っていて、彫像は雨にぬれていた。3人の少年の顔に流れる雨滴が私の心に焼きついてはなれない。これ程に去り難いものとは思わなかった。
現実に見るすべもない365年前の殉教者たちの風貌と気品に、少しでも近づけようと素朴な努力をした一人の信仰浅き彫刻家の仕事を寛大な眼で見ていただけるなら幸せである」
「どうしても、もう一度像を見たくなって」というところに、既に作品が自分から独立しながら、分かち難いものを感じている彫刻家の気分があらわれているように思えてなりません。
ハーバード・チースリク「長崎26殉教者のこと」
今泉篤男「舟越保武氏の「26殉教者」記念碑」
舟越保武「26殉教者像の制作を終えて」
今年の春、東京オペラシティアートギャラリーで「[特別展示]舟越保武:長崎26殉教者 未発表デッサン」展(2014年4月19日〜6月29日)が開催され、制作にあたってのデッサン98点が展示されていました。素晴らしい展覧会だったのですが、私はまだ長崎の現地で作品を見たことがありません。いつか日本二十六聖人記念館へ行きたいと思っていましたが、この二カ国語の写真集を手に取りながら、その思いを強くしました。舟越保武は上記のテキストの中でこう書いています。
「作品は、完成したとき、作者からはなれて独立して生きる。今や像はそれぞれの人格をそなえているように思われる。
除幕式を終えて天草へ行き、そのまま東京へ帰る予定だったが、どうしても、もう一度像を見たくなって、また長崎へ戻った。そのときは雨が降っていて、彫像は雨にぬれていた。3人の少年の顔に流れる雨滴が私の心に焼きついてはなれない。これ程に去り難いものとは思わなかった。
現実に見るすべもない365年前の殉教者たちの風貌と気品に、少しでも近づけようと素朴な努力をした一人の信仰浅き彫刻家の仕事を寛大な眼で見ていただけるなら幸せである」
「どうしても、もう一度像を見たくなって」というところに、既に作品が自分から独立しながら、分かち難いものを感じている彫刻家の気分があらわれているように思えてなりません。