主に一人の飲み歩きが趣味で、休日は展覧会を見に出かけつつ昼過ぎから酒場に繰り出すようなこともしていたのだが、山形に来てからはCOVID-19による影響や、そもそも昼から開いているお店が東京のように多くない、ということで控えていた。そんななか、目当ての古書店帰りに見つけた山形市内のある中華料理屋は、長くその場所で営業を続けてきたのだろう風格のようなものがありつつ、しかし広くない店内は親密感もあり、定食や丼ものから一品料理までメニューも豊富かつリーズナブルで、ちょっと食事をしつつ飲むにはぴったりだった。餃子はなんと12種類もある。今日のような天気のよい日には飲み歩きがふさわしいということで、昼を目指して訪れた。
手持ち無沙汰になるのは目に見えているので、途中にある書店で何か買っていこうと思い、手に取ったものは文芸評論家・加藤典洋『大きな字で書くこと』(岩波書店、2019)。2019年に亡くなった著者の、同名の連載を中心にしたエッセイ集である。私は熱心な読者というほどではないが、家には何冊かの本がある。だがこの本を読んでいて、氏が山形出身だということを知った。「十八歳。私は、それまで東北の山形で過ごした外国文学好きの新しがり屋の文学少年だった。」という一文がある。そうだったのか。
私はこういうことに「縁」を勝手に感じる人間だ。つまり、今回であれば加藤典洋が山形出身だということを、山形の中華料理屋で餃子をつまみに酒を飲みながら気づく・知るということ。これはなにかあるのではないか、と思う。つまり、いまが加藤典洋を読むタイミングなのではないか、ということだ。こういう「思い込み」が、未知の世界を拓いていくことを私は経験的に知っている。最後のエッセイ集、ということになるのか、今回の著書を読み終えたところで、別の本も手にとっていきたいと思う。
そういう、感動的な「再会」を果たして、夜は定例のオンラインによる絵画ゼミ。今回はフランク・ステラの作品とその展開を軸にしながら、かなり方々に話が展開して楽しい時間だった。私はそこである「告白」もした。
手持ち無沙汰になるのは目に見えているので、途中にある書店で何か買っていこうと思い、手に取ったものは文芸評論家・加藤典洋『大きな字で書くこと』(岩波書店、2019)。2019年に亡くなった著者の、同名の連載を中心にしたエッセイ集である。私は熱心な読者というほどではないが、家には何冊かの本がある。だがこの本を読んでいて、氏が山形出身だということを知った。「十八歳。私は、それまで東北の山形で過ごした外国文学好きの新しがり屋の文学少年だった。」という一文がある。そうだったのか。
私はこういうことに「縁」を勝手に感じる人間だ。つまり、今回であれば加藤典洋が山形出身だということを、山形の中華料理屋で餃子をつまみに酒を飲みながら気づく・知るということ。これはなにかあるのではないか、と思う。つまり、いまが加藤典洋を読むタイミングなのではないか、ということだ。こういう「思い込み」が、未知の世界を拓いていくことを私は経験的に知っている。最後のエッセイ集、ということになるのか、今回の著書を読み終えたところで、別の本も手にとっていきたいと思う。
そういう、感動的な「再会」を果たして、夜は定例のオンラインによる絵画ゼミ。今回はフランク・ステラの作品とその展開を軸にしながら、かなり方々に話が展開して楽しい時間だった。私はそこである「告白」もした。