午前中、足利のギャラリー碧へ行き「常設展」を見たのち、出品している下川勝先生のアトリエへ。大分県に生まれ、現在は群馬県館林を拠点にして活動をしている作家。私の幼少期の絵の先生でもあり、だから「先生」とここでも呼ぶのだが、子どもの頃は、現代美術の作家だとは知らないまま絵を教わっていた。個展のほか、木下晋、草間彌生との3人展をギャラリー碧では行っており、近年は初期作品が神奈川県立近代美術館へ修蔵され、今夏の展覧会に出品されるという。
私にとってはどうしても「子どもの頃の先生」ではあるが、いまは現代美術のフィールドで活動を行う作家として、アトリエで現在の作品を見せてもらいつつ、いろいろな話をする。下川先生は、居住地近隣を歩いて見つけた廃棄物や自然物を素材に作品を作っているのだが、そのため館林とも地理的に近い足尾銅山鉱毒事件への関心も高く、その関心からできあがった作品もある。明治時代におこった日本初の公害に対して、現代の人間はどのように思考することができるのか。現代美術の観点からアプローチする下川先生の作品にも興味が尽きず、私は長く群馬を拠点にしている下川先生のまとまった展覧会が、県内のどこか大きなスペースで開催されることを強く望んでしまう。公立美術館での可能性はないだろうか。そのときはできるだけお手伝いをしたい。これは「子どもの頃の絵の先生」だからではなく、その作品が優れているといまの私が考えるからだ。この日は、アトリエのあと、一緒に渡瀬遊水池にも行き、足尾銅山鉱毒事件の範囲の大きさを改めて思い知らされた。
館林から山形へ、4時間弱をかけて20時過ぎに帰宅するも、疲れ果ててしまい、定例の「絵画ゼミ」を欠席。残念。
私にとってはどうしても「子どもの頃の先生」ではあるが、いまは現代美術のフィールドで活動を行う作家として、アトリエで現在の作品を見せてもらいつつ、いろいろな話をする。下川先生は、居住地近隣を歩いて見つけた廃棄物や自然物を素材に作品を作っているのだが、そのため館林とも地理的に近い足尾銅山鉱毒事件への関心も高く、その関心からできあがった作品もある。明治時代におこった日本初の公害に対して、現代の人間はどのように思考することができるのか。現代美術の観点からアプローチする下川先生の作品にも興味が尽きず、私は長く群馬を拠点にしている下川先生のまとまった展覧会が、県内のどこか大きなスペースで開催されることを強く望んでしまう。公立美術館での可能性はないだろうか。そのときはできるだけお手伝いをしたい。これは「子どもの頃の絵の先生」だからではなく、その作品が優れているといまの私が考えるからだ。この日は、アトリエのあと、一緒に渡瀬遊水池にも行き、足尾銅山鉱毒事件の範囲の大きさを改めて思い知らされた。
館林から山形へ、4時間弱をかけて20時過ぎに帰宅するも、疲れ果ててしまい、定例の「絵画ゼミ」を欠席。残念。