昨日に引き続き、山形ビエンナーレのためのフィールドワークに同行。今日は寒河江市にある「舟着観音」へ。これは何かというと、山形の村山地方はかつて湖だったという言い伝えがある。それこそが「藻が湖」(もがうみ)であり、今回の山形ビエンナーレにおける「現代山形考」はその伝説がテーマだ。そして舟着観音とは、かつて寒河江西根と東根貴船を結んでいたその寒河江の船着場に祀られている観音像である。寺院の額には「大木山」とあり、周囲の土地と比べると数段高くなっている。なるほど登ってみると、ここから目線の先が湖だったかもしれないという想像を誘わせるものがある。
昨日同様、同地ではビエンナーレのためのインタビューが行われる。長くこの場所を守ってこられた方々がいることを、こういう機会には実感する。そしてそれは簡単なことではないということも、だ。
舟着観音のあと、同じく寒河江にある波除地蔵へ参る。江戸時代のものであることが、その石製のお地蔵様に刻まれていることからわかるなど、普段、昔であっても明治くらいが私の研究のフィールドなので、時間軸にクラクラする。でもそこに人の何かしらの営みがあった。そのことを完全と知ることはできないが、リサーチに基づき、考えることは楽しい。
昨日同様、同地ではビエンナーレのためのインタビューが行われる。長くこの場所を守ってこられた方々がいることを、こういう機会には実感する。そしてそれは簡単なことではないということも、だ。
舟着観音のあと、同じく寒河江にある波除地蔵へ参る。江戸時代のものであることが、その石製のお地蔵様に刻まれていることからわかるなど、普段、昔であっても明治くらいが私の研究のフィールドなので、時間軸にクラクラする。でもそこに人の何かしらの営みがあった。そのことを完全と知ることはできないが、リサーチに基づき、考えることは楽しい。