神保町の古書店で興味深いドローイングを見つけました。いや、ドローイングというより、趣としては、「子どものお絵描き」と言った方が伝わりやすいかもしれません。
拙い絵ですが、しかし丁寧に描かれていて、画面上部から、翼に日の丸のついたいくつもの飛行機(九機確認できます)から落下傘部隊が降りてきています。そして、やしの木が繁り、低い屋根の家が何棟か建つ陸上からは、焔と煙が上がっている。ピンと来る人はすぐピンと来ると思いますが、画面の左に《パレンバン奇襲降下の日本落下傘部隊(空ノ神兵)》と書いてあるとおり、これはアジア・太平洋戦争中の「パレンバン空挺作戦」(1942年2月)を描いたものでしょう。「空の神兵」と謳われた陸軍落下傘部隊が、スマトラ島のパレンバンを奇襲する場面。この場面を描いた戦争画としてよく知られたものに、鶴田吾郎の《神兵パレンバンに降下す》(1942年、東京国立近代美術館所蔵 アメリカ合衆国無期限貸与作品)があります。
この絵がいつ描かれたものなのか、誰が描いたものなのか、タイトルは書かれてますがサインはありませんので、詳しいところはわかりません。おそらく時期はまさしく鶴田吾郎も《神兵パレンバンに降下す》を描いた戦時中1942(昭和17)年頃、またおそらく描き手は鶴田のような「大人」ではなく「子ども」であろうと考えられます。ただ、これもひとつの「戦争画」として、私の目には映ります。画家ではない、匿名で、年少の手による、拙い、ゆえに戦意高揚に繋がるのかどうかわからない、けれども丁寧に描かれた、一枚の「戦争画」。鶴田吾郎の戦争画が「大文字」の戦争画だとしたら、これは「小文字」の戦争画だと言えるかもしれません。美術館に収まるものではないかもしれない。けれども戦争のイメージや、国民の戦争への向き合い方を今に伝えるひとつの貴重な資料として、大事な視点を私に与えてくれます。1,080円(税込)。
この絵がいつ描かれたものなのか、誰が描いたものなのか、タイトルは書かれてますがサインはありませんので、詳しいところはわかりません。おそらく時期はまさしく鶴田吾郎も《神兵パレンバンに降下す》を描いた戦時中1942(昭和17)年頃、またおそらく描き手は鶴田のような「大人」ではなく「子ども」であろうと考えられます。ただ、これもひとつの「戦争画」として、私の目には映ります。画家ではない、匿名で、年少の手による、拙い、ゆえに戦意高揚に繋がるのかどうかわからない、けれども丁寧に描かれた、一枚の「戦争画」。鶴田吾郎の戦争画が「大文字」の戦争画だとしたら、これは「小文字」の戦争画だと言えるかもしれません。美術館に収まるものではないかもしれない。けれども戦争のイメージや、国民の戦争への向き合い方を今に伝えるひとつの貴重な資料として、大事な視点を私に与えてくれます。1,080円(税込)。