1週間ほど経ちますが、群馬県立近代美術館へ行ってきました。8月に実家に帰省した際に「1974 第1部 1974年に生まれて」を見たので、その第2部「1974 第2部 1974年-戦後日本美術の転換点」を(11/3に終了)。これらの企画は、いずれも群馬県立近代美術館が開館した1974年をキーワードにして、1974年に生まれた6名の作家(小林耕平、末永史尚、土屋貴哉、春木麻衣子、水野暁、宮永愛子)のグループ展を第1部で、そして1974年を「戦後日本美術の転換点」と見なして同年に制作された作品を中心にしたグループ展を第2部で開催するものでした。ある時代をどのように語るのか(歴史化するのか)、どのように語られるのか(歴史化されるのか)、どのように語ることができるのか(歴史化することができるのか)、ということが最近の大きな関心なので、その方法論がとても勉強になる展覧会でした。群馬県立美術館開館40周年記念展です。
とりわけ興味深かったのは、実は作品以上に第2部の冒頭で紹介されていた群馬県立近代美術館自体の成立ちで、同館が建つ「群馬の森」と名づけられた一帯は、1905年日本で初めてダイナマイト製造を行った陸軍の火薬製造所があったということ。群馬県出身にも関わらずまったく知らなかったのですが、そういうこともあって、群馬の森敷地内には、「我が国 ダイナマイト発祥の地」と彫られた石碑が建っています。
とりわけ興味深かったのは、実は作品以上に第2部の冒頭で紹介されていた群馬県立近代美術館自体の成立ちで、同館が建つ「群馬の森」と名づけられた一帯は、1905年日本で初めてダイナマイト製造を行った陸軍の火薬製造所があったということ。群馬県出身にも関わらずまったく知らなかったのですが、そういうこともあって、群馬の森敷地内には、「我が国 ダイナマイト発祥の地」と彫られた石碑が建っています。
1968年、建設省が「明治百年記念事業」として全国に森林公園を設置することを決め、群馬県はこの決定を受け、「旧東京第二陸軍造兵廠岩鼻製造所」跡地に「群馬の森」を建設することにしたとのこと。群馬県立近代美術館は、こういった過程を経て同地に建てられたもので、つまり「文化」の発信地としての美術館建設の影には、「明治維新」と「アジア・太平洋戦争敗戦」という日本の近代史が避けて通れない大きな「転換点」があったということです。
石碑は「群馬の森」の地図に載っておらず探しにくかったのですが、美術館から歩いて南へ直線距離100〜200mくらいでしょうか。芝生を抜けたところに、ひっそりと建っています。美術館に行かれる方は、ぜひこんなところにもご注目を。
石碑は「群馬の森」の地図に載っておらず探しにくかったのですが、美術館から歩いて南へ直線距離100〜200mくらいでしょうか。芝生を抜けたところに、ひっそりと建っています。美術館に行かれる方は、ぜひこんなところにもご注目を。