展覧会を見に愛知県と長野県へ出かけました(8/14-15)。夜行バスで行き、普通列車で帰るという楽しい旅行です。
愛知県では、まず、一宮市三岸節子記念美術館で「山田純嗣展 絵画をめぐって 理想郷と三遠法」。山田純嗣さんは、「絵画とはなにか?」という問いを、古今東西の絵画をモチーフに、「絵画に描かれているモチーフを石膏で立体に作り、それを撮影した写真に銅版画を重ね、樹脂を塗って仕上げるインタリオ・オン・フォト」という独自の手法で探求されている作家です。何度も作品を拝見し、説明を聞いても私の理解力のせいでしっかり理解できていない山田さんの制作手法でしたが、今回の個展では、これまで展示されていなかった銅版画のドローイングが展示されることで、理解を少しだけ先に進められたように思います。このあたりのことは後日レビューを書きますのでそちらで。山田さんとの、私が答えられないまま止まってしまっている往復書簡「絵画をめぐって」も、これを機にお返事したいと思います。8月30日からは不忍画廊での個展も予定されています。
山田純嗣×小金沢智 往復書簡 〈絵画をめぐって〉
http://shinobazu.com/tag/tp121105/
「山田純嗣展 絵画をめぐって 反復・反転・反映」
http://shinobazu.com/news/11414/
三岸節子記念美術館のあとは、愛知県美術館の「これからの写真」、「APMoA Project, ARCH vol.11 末永史尚 ミュージアムピース」へ。愛知県美術館は、コレクションの展示室で特集展示「日本の写真史を飾った写真家の「私の1枚」―フジフイルム・フォトコレクションによる―」が行われていたり、新たに25点収蔵された志賀理江子《螺旋海岸》が展示されていたりと、企画とコレクションが有機的に結びつく展示だったことが印象的でした。歴史的な流れを考えると、「これからの写真」を見る前に、明治期から現代にいたる「日本の写真史を飾った写真家の「私の1枚」―フジフイルム・フォトコレクションによる―」を見てもよかったかもしれません。いっそう、「これから」感を感じられるような。末永さんは愛知県美術館のコレクションをモチーフにした作品で、手法は違うものの、「絵画」自体をモチーフにした二人の作家ー山田純嗣さんと末永史尚さんを同じ日に見ることができて嬉しかったです。末永さんは群馬県立近代美術館の「1974 第1部 1974年に生まれて」にも出品されていて、これは帰省したときに見る予定。なかなか作品というのは、ある程度まとめて見た経験がないとわからないものだと思っているので、だからこうして同時期に見る機会があるのはありがたいことです。
愛知県美術館を出る頃には雨が降り出してひどく蒸し暑かった名古屋ですが、歩いて名古屋市美術館へ。「挑戦する日本画:1950~70年代の画家たち」が開催されており、「日本画がいかにして「現代化」されたのかを再検討するもの」として、主に1950年代から1970年代に活躍した、日本画に出自を持つ、あるいは日本画材を使う作家が紹介されています。私にとって、現在でもいまだ定義が統一されない「日本画」の「多様性」を、歴史的な視点から俯瞰して確認するための、現在の足場がどこにあるのか知るための、大事な機会でした。日本画(仮)部部長としては、見逃せません。そして、1980年代から現在までの「日本画」のことを、これから私は自分の課題として考えなければいけないと思います。
日本画(仮)部
http://kakkokaribu.tumblr.com
このあと、岐阜を経由して長野県茅野市まで行き、夜は急遽声をかけた友人が、イタリアンに連れて行ってくれました。パスタとピザをもりもり食べて、茅野泊。粒あんのピザが思い出です。名古屋とは対照的な湿度が心地よい夜でした。
茅野市美術館と諏訪市美術館のことは改めて。約5時間の帰路も、そろそろ終わりです。腰が痛い。
愛知県では、まず、一宮市三岸節子記念美術館で「山田純嗣展 絵画をめぐって 理想郷と三遠法」。山田純嗣さんは、「絵画とはなにか?」という問いを、古今東西の絵画をモチーフに、「絵画に描かれているモチーフを石膏で立体に作り、それを撮影した写真に銅版画を重ね、樹脂を塗って仕上げるインタリオ・オン・フォト」という独自の手法で探求されている作家です。何度も作品を拝見し、説明を聞いても私の理解力のせいでしっかり理解できていない山田さんの制作手法でしたが、今回の個展では、これまで展示されていなかった銅版画のドローイングが展示されることで、理解を少しだけ先に進められたように思います。このあたりのことは後日レビューを書きますのでそちらで。山田さんとの、私が答えられないまま止まってしまっている往復書簡「絵画をめぐって」も、これを機にお返事したいと思います。8月30日からは不忍画廊での個展も予定されています。
山田純嗣×小金沢智 往復書簡 〈絵画をめぐって〉
http://shinobazu.com/tag/tp121105/
「山田純嗣展 絵画をめぐって 反復・反転・反映」
http://shinobazu.com/news/11414/
三岸節子記念美術館のあとは、愛知県美術館の「これからの写真」、「APMoA Project, ARCH vol.11 末永史尚 ミュージアムピース」へ。愛知県美術館は、コレクションの展示室で特集展示「日本の写真史を飾った写真家の「私の1枚」―フジフイルム・フォトコレクションによる―」が行われていたり、新たに25点収蔵された志賀理江子《螺旋海岸》が展示されていたりと、企画とコレクションが有機的に結びつく展示だったことが印象的でした。歴史的な流れを考えると、「これからの写真」を見る前に、明治期から現代にいたる「日本の写真史を飾った写真家の「私の1枚」―フジフイルム・フォトコレクションによる―」を見てもよかったかもしれません。いっそう、「これから」感を感じられるような。末永さんは愛知県美術館のコレクションをモチーフにした作品で、手法は違うものの、「絵画」自体をモチーフにした二人の作家ー山田純嗣さんと末永史尚さんを同じ日に見ることができて嬉しかったです。末永さんは群馬県立近代美術館の「1974 第1部 1974年に生まれて」にも出品されていて、これは帰省したときに見る予定。なかなか作品というのは、ある程度まとめて見た経験がないとわからないものだと思っているので、だからこうして同時期に見る機会があるのはありがたいことです。
愛知県美術館を出る頃には雨が降り出してひどく蒸し暑かった名古屋ですが、歩いて名古屋市美術館へ。「挑戦する日本画:1950~70年代の画家たち」が開催されており、「日本画がいかにして「現代化」されたのかを再検討するもの」として、主に1950年代から1970年代に活躍した、日本画に出自を持つ、あるいは日本画材を使う作家が紹介されています。私にとって、現在でもいまだ定義が統一されない「日本画」の「多様性」を、歴史的な視点から俯瞰して確認するための、現在の足場がどこにあるのか知るための、大事な機会でした。日本画(仮)部部長としては、見逃せません。そして、1980年代から現在までの「日本画」のことを、これから私は自分の課題として考えなければいけないと思います。
日本画(仮)部
http://kakkokaribu.tumblr.com
このあと、岐阜を経由して長野県茅野市まで行き、夜は急遽声をかけた友人が、イタリアンに連れて行ってくれました。パスタとピザをもりもり食べて、茅野泊。粒あんのピザが思い出です。名古屋とは対照的な湿度が心地よい夜でした。
茅野市美術館と諏訪市美術館のことは改めて。約5時間の帰路も、そろそろ終わりです。腰が痛い。