2020年3月19日をもちまして、4年半勤務していた太田市美術館・図書館を退職しました。直接ご報告ができていない方も多くおり、大変申し訳ありません。
2015年8月、ご紹介いただいて、総合ディレクションを受託していたスパイラル/ワコールアートセンターが中心となって実施していた太田市美術館・図書館の市民ワークショップに参加したときのことが思い出されます。私はその後2016年3月までスパイラルからの業務委託として準備の仕事を受託し、2016年4月以降は太田市側のスタッフとして美術館図書館準備室に入りました。
それ以降のことは、本当に多くの方々のお世話になりましたので一言では言えませんが、準備室から開館後のこの3年間は、この美術館・図書館のことばかり考えていました。3年間の間に担当した展覧会は8本。多くのアーティスト、デザイナー、美術輸送や造作施工の皆さんにお世話になりました。すべての展覧会で図録を制作し、うち5本は出版社のご協力を得ました。至らないことも多く、各所さまざまなご迷惑をおかけしましたが、「ここのために私ができること」「ここでしかできないこと」だけを考え、実施してきたつもりです。
にも関わらず、3年間で退職することが残念でなりません。多くはこの場で語りたくありませんが、美術館(あるいは図書館)という施設は、言うまでもなく公共の場です。そして太田市美術館・図書館は太田市公立の美術館です。展覧会を重ねていくなかで、沢山の方々が、「太田と言えば小金沢くんだよね」と言ってくださいました。良い意味でだと思いますが、私は、ひとつの美術館のイメージが、ただひとりの学芸員の仕事に繋がってしまうことを危惧します。公共と言えども、私の仕事は私の専門や経験に基づくものであり、それは言うまでもなく絶対ではありません。美術館のイメージは土地のイメージにもつながり、それは複数であるべきだと私は考えます。
ですから、何度提言しても学芸員を外部から採用しようとしなかった太田市に対しては不満があります。職場には学芸員資格を持つ職員はいますが、彼らは美術を専門的に学ぶなどし、美術館で働くことをモチベーションに太田市に入職したわけではありません。彼らを悪く言いたくはありませんが、やはり専門性という意味でできることには限界があり、彼ら自身がそのことを理解しています。大学・大学院と6年美術を勉強し、専門性を高め、年間3桁の展覧会を見ていても、すぐに仕事にならないのが学芸員という仕事です。そのことを残念ながら理解されていない。よく言えば私に任せてくれたと言えますが、私にとっても、組織にとっても、それはやはりよいものではありません。
「学芸員ひとりだと好きなことできていいね」とおっしゃる方もいましたが、公立美術館は「一人が好きにやっていい」ものではないと私は考えますので、その考えは相入れませんでした。実際、ある程度任せていただいたのはありがたいことではありましたが、その内容に対する建設的なディスカッションが職場内でほぼなかった(できなかった)ことは、やはり美術館組織としては適切なものではないと思います。美術館や図書館が「地域創造」の柱として見なされ始めた昨今、それに伴った組織づくりを、太田に限らず、私は行政に対して強く望みます。
準備室も含め約4年半で私が考えたのは、「公立」の「美術館のありかた」でした。それは学芸員ひとりで考えるものではなく、市民はじめ多くのこの土地に生きる人たちとともに考えることなのではないでしょうか。誰かが主導するということではなく、ともに考えることの可能性は、この太田市美術館・図書館が、設計段階から市民ワークショップを重ねたこととも繋がります。「私(たち)」の「美術館・図書館」の可能性を追求すること。
COVID-19による一時の臨時休館を経ながらも、現時点では再開し、5月10日まで開催中の「2020年のさざえ堂——現代の螺旋と100枚の絵」は、その意味で、「他者とともに生きることのレッスン」のような展覧会になっています。そしてそれは、(無理に繋げるものでもありませんが)、COVID-19が可視化してしまった、見知らぬ他者に対して極めて不寛容で差別すら辞さない現在の日本社会に対する批評/カウンターでもあります。この展覧会は社会性や政治性をモチーフにはしていませんが、見ていただければ、そういう射程も持っていることに気づいていただけると思います。「私たちはひとりで生きているわけではない」と、出品作家の蓮沼執太さんはインタビューで言っています。そういう時代に、美術館は、図書館は、どうあることが適切なのか。考えていきたいと思いますし、ぜひ考えていただきたいと思います。
4月からの仕事は、またご報告させていただきますが、太田とは別の形で、しかしこの問題意識を継続して仕事をしていきたいと思っています。
大変お世話になり、ありがとうございました。
今後ともよろしくお願いいたします。
2015年8月、ご紹介いただいて、総合ディレクションを受託していたスパイラル/ワコールアートセンターが中心となって実施していた太田市美術館・図書館の市民ワークショップに参加したときのことが思い出されます。私はその後2016年3月までスパイラルからの業務委託として準備の仕事を受託し、2016年4月以降は太田市側のスタッフとして美術館図書館準備室に入りました。
それ以降のことは、本当に多くの方々のお世話になりましたので一言では言えませんが、準備室から開館後のこの3年間は、この美術館・図書館のことばかり考えていました。3年間の間に担当した展覧会は8本。多くのアーティスト、デザイナー、美術輸送や造作施工の皆さんにお世話になりました。すべての展覧会で図録を制作し、うち5本は出版社のご協力を得ました。至らないことも多く、各所さまざまなご迷惑をおかけしましたが、「ここのために私ができること」「ここでしかできないこと」だけを考え、実施してきたつもりです。
にも関わらず、3年間で退職することが残念でなりません。多くはこの場で語りたくありませんが、美術館(あるいは図書館)という施設は、言うまでもなく公共の場です。そして太田市美術館・図書館は太田市公立の美術館です。展覧会を重ねていくなかで、沢山の方々が、「太田と言えば小金沢くんだよね」と言ってくださいました。良い意味でだと思いますが、私は、ひとつの美術館のイメージが、ただひとりの学芸員の仕事に繋がってしまうことを危惧します。公共と言えども、私の仕事は私の専門や経験に基づくものであり、それは言うまでもなく絶対ではありません。美術館のイメージは土地のイメージにもつながり、それは複数であるべきだと私は考えます。
ですから、何度提言しても学芸員を外部から採用しようとしなかった太田市に対しては不満があります。職場には学芸員資格を持つ職員はいますが、彼らは美術を専門的に学ぶなどし、美術館で働くことをモチベーションに太田市に入職したわけではありません。彼らを悪く言いたくはありませんが、やはり専門性という意味でできることには限界があり、彼ら自身がそのことを理解しています。大学・大学院と6年美術を勉強し、専門性を高め、年間3桁の展覧会を見ていても、すぐに仕事にならないのが学芸員という仕事です。そのことを残念ながら理解されていない。よく言えば私に任せてくれたと言えますが、私にとっても、組織にとっても、それはやはりよいものではありません。
「学芸員ひとりだと好きなことできていいね」とおっしゃる方もいましたが、公立美術館は「一人が好きにやっていい」ものではないと私は考えますので、その考えは相入れませんでした。実際、ある程度任せていただいたのはありがたいことではありましたが、その内容に対する建設的なディスカッションが職場内でほぼなかった(できなかった)ことは、やはり美術館組織としては適切なものではないと思います。美術館や図書館が「地域創造」の柱として見なされ始めた昨今、それに伴った組織づくりを、太田に限らず、私は行政に対して強く望みます。
準備室も含め約4年半で私が考えたのは、「公立」の「美術館のありかた」でした。それは学芸員ひとりで考えるものではなく、市民はじめ多くのこの土地に生きる人たちとともに考えることなのではないでしょうか。誰かが主導するということではなく、ともに考えることの可能性は、この太田市美術館・図書館が、設計段階から市民ワークショップを重ねたこととも繋がります。「私(たち)」の「美術館・図書館」の可能性を追求すること。
COVID-19による一時の臨時休館を経ながらも、現時点では再開し、5月10日まで開催中の「2020年のさざえ堂——現代の螺旋と100枚の絵」は、その意味で、「他者とともに生きることのレッスン」のような展覧会になっています。そしてそれは、(無理に繋げるものでもありませんが)、COVID-19が可視化してしまった、見知らぬ他者に対して極めて不寛容で差別すら辞さない現在の日本社会に対する批評/カウンターでもあります。この展覧会は社会性や政治性をモチーフにはしていませんが、見ていただければ、そういう射程も持っていることに気づいていただけると思います。「私たちはひとりで生きているわけではない」と、出品作家の蓮沼執太さんはインタビューで言っています。そういう時代に、美術館は、図書館は、どうあることが適切なのか。考えていきたいと思いますし、ぜひ考えていただきたいと思います。
4月からの仕事は、またご報告させていただきますが、太田とは別の形で、しかしこの問題意識を継続して仕事をしていきたいと思っています。
大変お世話になり、ありがとうございました。
今後ともよろしくお願いいたします。