8月16日、17日と、群馬県前橋市の実家に帰省。その行き帰りに、群馬県立近代美術館の「1974 第1部 1974年に生まれて」、アーツ前橋の「プレイヤーズ 遊びからはじまるアート展」、埼玉県立近代美術館の「戦後日本住宅伝説ー挑発する家・内省する家」展を見ました。14日の愛知県、15日の長野県とあわせて、はからずも4日間訪れたところがすべて公立美術館だったので、開館年や建築・設計などを調べて、開館順に並び替えてみました。
・諏訪市美術館/1956年開館
・群馬県立近代美術館/1974年開館(建築=磯崎新)
・埼玉県立近代美術館/1982年開館(建築=黒川紀章)
・名古屋市美術館/1988年開館(建築=黒川紀章)
・愛知県美術館/1992年開館(前身の愛知県文化会館美術館は1955年開館)
・一宮市三岸節子記念美術館/1998年開館(旧称=尾西市三岸節子記念美術館。市町村合併により改称)
・茅野市美術館/2005年開館(建築=古谷誠章+NASCA+茅野市設計事務所協会)
・アーツ前橋/2013年開館(建築=水谷俊博)
開館年で60年の幅がありますが、1970年代から1990年代にかけてできたところが大半です。この中では開館が最も古い諏訪市美術館は、ホームページによると、「明治後期から諏訪地方で発展した製糸業の中心的存在、片倉財閥により欧米の健康福祉施設を参考に地域住民のための福利厚生施設として、1928(昭和3)年に「片倉館」が造られました。その後付属施設として「懐古館」が併設され、美術品や蚕糸関係の展示が行われました」、「1950(昭和25)年、懐古館は諏訪市に寄贈され、1956(昭和31)年「諏訪市美術館」として開館しました」とのこと。
美術館の建築を一から作るのではないという点では、アーツ前橋も同様です。アーツ前橋の前身は旧西武デパートWALK館で、その地下1階から地上2階までをコンバージョンし、2013年10月26日にオープン。今回はじめて訪れたのですが、展示空間として使われている地上1階と地下1階が一部吹き抜けになった、面白い構造でした。
ところでアーツ前橋の「プレイヤーズ 遊びからはじまるアート展」を見ていて驚いたのは、KOSUGE1-16が前橋市出身の画家・近藤嘉男(1915-1979)の《作品A》(1948年、アーツ前橋蔵)、《制作期》(群馬県立近代美術館蔵)をモチーフにしてインスタレーションを制作していたのですが(テーマは後述)、近藤の資料として展示されていたスクラップブックに、私が職場で調査・研究をしている宮本三郎の批評文が貼ってあったことです。『アトリエ』271号(1949年)に「近藤嘉男君」という文書を書いている。それによると、近藤嘉男は戦前は二科会、戦地から帰還しての戦後は二紀会で発表をしていたとのこと。宮本三郎は二紀会の創設者のひとりです。
そして、今回KOSUGE1-16が先の2作品をモチーフにしてテーマとしたのは、近藤嘉男が戦後前橋市内に作った子供絵画教室「ラ・ボンヌ」ですが、この「ラ・ボンヌ」の開設を近藤に委嘱したのが、ほかでもない宮本三郎だったようです。『近藤嘉男画集』(上毛新聞社出版局、1989年)によると、年譜の1949年に「二紀会理事長宮本三郎先生の委嘱により前橋市において及びラ・ボンヌを開設」とあります。
歴史を振り返れば、宮本三郎が近藤嘉男に「ラ・ボンヌ」開設を頼まなければ、今回のKOSUGE1-16による作品もなかったはずで、そもそも前橋市の美術がまた違うものになっていたのかもしれない…と考えると、歴史の面白さを感じます。ひとの交流、作品と時間の積み重ねが歴史を作り、現在を更新し続けている。「ラ・ボンヌ」は現在国登録有形文化財建築物に指定され、現在は広瀬川美術館として公開されています。今度行こう。
広瀬川美術館
http://www31.ocn.ne.jp/~hirosegawa/index.html
※ホームページの「美術館の歴史」を読むと、「ラ・ボンヌ」の開館年が『近藤嘉男画集』と違うのと、「二紀会洋画研究所」については触れられていないので、改めてしっかり調べてみたいです。個人アトリエをそう呼んだということなのかな。
・諏訪市美術館/1956年開館
・群馬県立近代美術館/1974年開館(建築=磯崎新)
・埼玉県立近代美術館/1982年開館(建築=黒川紀章)
・名古屋市美術館/1988年開館(建築=黒川紀章)
・愛知県美術館/1992年開館(前身の愛知県文化会館美術館は1955年開館)
・一宮市三岸節子記念美術館/1998年開館(旧称=尾西市三岸節子記念美術館。市町村合併により改称)
・茅野市美術館/2005年開館(建築=古谷誠章+NASCA+茅野市設計事務所協会)
・アーツ前橋/2013年開館(建築=水谷俊博)
開館年で60年の幅がありますが、1970年代から1990年代にかけてできたところが大半です。この中では開館が最も古い諏訪市美術館は、ホームページによると、「明治後期から諏訪地方で発展した製糸業の中心的存在、片倉財閥により欧米の健康福祉施設を参考に地域住民のための福利厚生施設として、1928(昭和3)年に「片倉館」が造られました。その後付属施設として「懐古館」が併設され、美術品や蚕糸関係の展示が行われました」、「1950(昭和25)年、懐古館は諏訪市に寄贈され、1956(昭和31)年「諏訪市美術館」として開館しました」とのこと。
美術館の建築を一から作るのではないという点では、アーツ前橋も同様です。アーツ前橋の前身は旧西武デパートWALK館で、その地下1階から地上2階までをコンバージョンし、2013年10月26日にオープン。今回はじめて訪れたのですが、展示空間として使われている地上1階と地下1階が一部吹き抜けになった、面白い構造でした。
ところでアーツ前橋の「プレイヤーズ 遊びからはじまるアート展」を見ていて驚いたのは、KOSUGE1-16が前橋市出身の画家・近藤嘉男(1915-1979)の《作品A》(1948年、アーツ前橋蔵)、《制作期》(群馬県立近代美術館蔵)をモチーフにしてインスタレーションを制作していたのですが(テーマは後述)、近藤の資料として展示されていたスクラップブックに、私が職場で調査・研究をしている宮本三郎の批評文が貼ってあったことです。『アトリエ』271号(1949年)に「近藤嘉男君」という文書を書いている。それによると、近藤嘉男は戦前は二科会、戦地から帰還しての戦後は二紀会で発表をしていたとのこと。宮本三郎は二紀会の創設者のひとりです。
そして、今回KOSUGE1-16が先の2作品をモチーフにしてテーマとしたのは、近藤嘉男が戦後前橋市内に作った子供絵画教室「ラ・ボンヌ」ですが、この「ラ・ボンヌ」の開設を近藤に委嘱したのが、ほかでもない宮本三郎だったようです。『近藤嘉男画集』(上毛新聞社出版局、1989年)によると、年譜の1949年に「二紀会理事長宮本三郎先生の委嘱により前橋市において及びラ・ボンヌを開設」とあります。
歴史を振り返れば、宮本三郎が近藤嘉男に「ラ・ボンヌ」開設を頼まなければ、今回のKOSUGE1-16による作品もなかったはずで、そもそも前橋市の美術がまた違うものになっていたのかもしれない…と考えると、歴史の面白さを感じます。ひとの交流、作品と時間の積み重ねが歴史を作り、現在を更新し続けている。「ラ・ボンヌ」は現在国登録有形文化財建築物に指定され、現在は広瀬川美術館として公開されています。今度行こう。
広瀬川美術館
http://www31.ocn.ne.jp/~hirosegawa/index.html
※ホームページの「美術館の歴史」を読むと、「ラ・ボンヌ」の開館年が『近藤嘉男画集』と違うのと、「二紀会洋画研究所」については触れられていないので、改めてしっかり調べてみたいです。個人アトリエをそう呼んだということなのかな。