KOGANEZAWA SATOSHI
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4/28/2020

 
車を買った。まさか自分が車を買う日が来るとは思わなかった。生まれ育ったのは、成人ひとり一台所有していてもおかしくない土地だったが、私はその土地を大学進学のため19歳の頃出て以来、10数年、東京及びその近郊を住居としていた。免許は持っていたが、それは仕事上仕方がなくとったもので、自分の車を手に入れるということは考えられなかった。それは、都心部の公共交通機関の充実が前提だったことは言うまでもないが、購入し、維持するほどの給与を私は得ていなかった。

2020年3月下旬、仕事を変え、埼玉から山形に引っ越した。すると、多くの人たちから「車はどうするのか」と尋ねられた。ここ10年ほど、山形には毎年のように来ていたから、この土地での生活が、控えめに言っても車なしに成り立たせることは難しいことは知っていた。けれども車を所有することの関心のなさは、車そのものへの無関心でもあったため、メーカーや車種など知っているわけがない。車に詳しい友人の何人かに話を聞きながら、中古車をネットで熱心に見つめる日が続き、結局注文したのは山形に引っ越してきてからだった。

それから約一月が経って納車されたのは、「僕たちの、どこでもドア」をキャッチコピーにする中古車である。1990年代半ばから2000年まで生産された車だといい、当時のCMにはドラえもんが起用されていたというが私の記憶にはない。10代半ばの私は、生まれ育ったこの土地に自分が生涯暮らすとは夢にも思っていなかった。車の必要のない、しかしなんでもある東京での暮らし。思い描いていたのは、漠然としたそういうものだった。のち、大学に入って志した「美術」「芸術」というフィールドも、日本であれば東京だと信じて疑っていなかった。

ともあれその思いは、2011年の東日本大震災を契機にして私の中で大きく変わっていき、思いがけず転職のタイミングと重なった世界規模のCOVID-19による社会構造の変質は、いっそう、それまで信じていた価値について考えさせられた。

他県ナンバーの車に対する嫌がらせがあると聞く。車はその車種に限らず、まさしく「僕たちの、どこでもドア」然として、わたし(たち)をここではないどこかへ運んでくれるものとしてあるが、「来てくれるな」という声が可視化されている。これだけ移動のインフラが整った社会でありながら、わたし(たち)は今、見えないウィルスと、見えるようになってしまった敵意にさらされ、どこにも行くことができないような状況が生まれている。

いつか本当に「どこでもドア」ができたとして、ドアの向こうの先にいる人が、やってきた人をその出自に関わらず受け入れる未来であって欲しい。そのためにはわたし(たち)が今からその「おかしさ」について考えなければならない。

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    ・「山形日記」(2020/4/28-)

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