KOGANEZAWA SATOSHI
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5/5/2020

 
1日在宅していたのでこれといったことはしていない。欲しい本が何冊かあって、NADiffに注文していたものが代引きで届いたくらいだ。最近はつい、本でも日用品(特にパソコンや自動車まわり)でもネットで注文してしまうから、日常的な会話相手のほとんどが輸送業者の方々だ。住まいのインターホンが壊れていて鳴らないので、初めて来られる方には迷惑をかける。ノックする方ばかりではないので、最近、私はドアの向こうの人の気配を察して応答ができるようになった。これは東日本大震災時、「あ、くるな」という予感から間もなく小さな地震が何度も起こったことに似ている。なにかが研ぎ澄まされてしまっている。地震のおさまりによっていつしかその感覚はなくなったが、今は人の気配に対してそういう感覚が再び起こっており、つくづく「非常時」だなと思う。

家にいるので、自ずと家にある本を読む。久しぶりに井上雄彦『バガボンド』を読み直していると、1巻から近刊までの、作中経過10年に満たない中での武蔵の成長が著しくて驚いてしまう。武蔵がライバルである吉岡清十郎と1年ぶりに刀をまじえる場面で、その成長ぶりに対し清十郎が武蔵に「わずかの間になぜそれほど変わることができたんだ?」と問いかけるシーン(21巻、2005年)がある。そしてその次のコマで清十郎は、「ひょっとして伝七郎もまだ変わることができるんだろうか」と武蔵には声に出さず自問する。伝七郎は清十郎の弟で、清十郎はこの斬り合いに先立って、「1年間の時間を設けるとは愚かだな伝七郎(中略)まだ磨かれていない部分が多く残されているのはどっちだ?」と伝七郎に問うていたのだったが、ここで、自身ではなく弟のことが脳裏に浮かぶ点に、清十郎の優しさがあった。だが、このシーンは、家族や吉岡一門に対するその優しさが清十郎を縛ってもいたということも読者に知らせるシーンになっていて、その後の展開を思うとき、なんともやるせない気持ちに私をさせる。

ふと、『バガボンド』では、人はその家族をはじめとして他者といかに関係性を作ることができるか(できないのか)、という点を丁寧に描いていると気がついた。人から「悪鬼」と罵られた武蔵(たけぞう)は次第に、人との関係性の中でその「強さ」を別の形で生長させていく。またそれは、武蔵と幼なじみで、どうしようもない男として描かれる又八も例外ではなかった。天下無双を目指す男たちの英雄譚ではなく、いつしかそういった人間同士、人間と社会、人間と自然との関係性を描くことになっていった(または、そういった方向性が深まっていった)がゆえに、物語は、クライマックスである武蔵と小次郎の決闘へとなかなかたどり着かない。

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