昨日に引き続き、今日の午後は4年生のガイダンス。「岩手生まれの萬鉄五郎は卒業制作が現在重要文化財になっていて」、などという話をしようと思ったがやめた。作品が重要文化財に指定されることに、価値があるのではない。けれども、若い人が(と言っても萬が卒業したのは27歳の年だ。それは明治の終わりと、大正のはじまりの年だった)、その若さが、「ある時代」をどうしようもなく掴んだということ。芸術が面白いのは、そこに年齢制限がない。卒業制作がいまから楽しみ。
4年生のガイダンス後、太田で開催されていた「2020年のさざえ堂」展の、三瀬さんの作品返却に立ち会う。1月には主催者の展覧会企画担当として集荷に来て、今日は太田を退職しながらも、美専車に同乗して作品とともにやってきた後任の矢ヶ崎さんから作品を受け取る三瀬さんに随行する。集荷と返却を両方担当してくださった、ヤマトグローバルロジスティクスジャパン東北支社のDさんは、転職を今日お伝えしたため、とても驚かせてしまいました。
Dさんは、前職の世田谷美術館時代にも松本竣介展(2012年)で大変お世話になり(全国5箇所を巡回する展覧会で、東北では岩手、宮城の県立美術館が会場だった)、世田谷退職のご連絡もせず(よくないですね)、このたび1月の集荷前の作品調査(2019年12月)で8年ぶりにお会いして、「宜しくお願いいたします」とご挨拶をしたにもかかわらず、数ヶ月後には辞めて芸工大の教員になっていて、今回「実は…」と声をかけてしまい、申し訳ありませんでした…。
しかしこうして、どちらかの「職場」が変わっても、従事している「仕事」で関係が継続される。そういうことが、私はありがたく、嬉しい。輸送や、または施工は、「オンラインでやりましょう」というわけには当たり前だがいかず、土地や距離や時間と密接に結びついている。ともに同じ場所で時間を過ごすからこその関係もある。美術館に所属する「学芸員」ではなくなって私が寂しいのは、恒常的にそういう現場にいることがなくなったことだ。
4年生のガイダンス後、太田で開催されていた「2020年のさざえ堂」展の、三瀬さんの作品返却に立ち会う。1月には主催者の展覧会企画担当として集荷に来て、今日は太田を退職しながらも、美専車に同乗して作品とともにやってきた後任の矢ヶ崎さんから作品を受け取る三瀬さんに随行する。集荷と返却を両方担当してくださった、ヤマトグローバルロジスティクスジャパン東北支社のDさんは、転職を今日お伝えしたため、とても驚かせてしまいました。
Dさんは、前職の世田谷美術館時代にも松本竣介展(2012年)で大変お世話になり(全国5箇所を巡回する展覧会で、東北では岩手、宮城の県立美術館が会場だった)、世田谷退職のご連絡もせず(よくないですね)、このたび1月の集荷前の作品調査(2019年12月)で8年ぶりにお会いして、「宜しくお願いいたします」とご挨拶をしたにもかかわらず、数ヶ月後には辞めて芸工大の教員になっていて、今回「実は…」と声をかけてしまい、申し訳ありませんでした…。
しかしこうして、どちらかの「職場」が変わっても、従事している「仕事」で関係が継続される。そういうことが、私はありがたく、嬉しい。輸送や、または施工は、「オンラインでやりましょう」というわけには当たり前だがいかず、土地や距離や時間と密接に結びついている。ともに同じ場所で時間を過ごすからこその関係もある。美術館に所属する「学芸員」ではなくなって私が寂しいのは、恒常的にそういう現場にいることがなくなったことだ。