今日も大学。
板絵制作をしている2年生の小下図を見る(データで提出されている)と、植物を描いているものが多く見られるので、担当の金子先生とともに、花鳥画についてレクチャーをする。その起源と言える中国の五代十国時代の作家から、日本の江戸、明治、そして現代の作家まで。体系的なものにはできなかったが、ある種の型としてのイメージの歴史的蓄積があり、その上で個々の作家の技術・創意がある、ということ。伊藤若冲、幸野楳嶺、渡辺省亭などの仕事を参照する。
夕方、6限にあたる1年生対象の「日本画考」3回目では、近代以前・以後で作品のあり方がどのように変わったか、という話。それは現代において作品を制作・発表するにあたって必要だと私が考える認識の基盤のようなもの。いま当たり前にしていることが、どのような歴史的な変遷のもとに「当たり前」となったのか。そのルーツを知ることによる作品に対する向き合い方を考えてもらえたらと思っている。板橋区立美術館の江戸絵画展でのユニークな試み、田中武さん、イケムラレイコさんの作品などを参照して考える。
帰宅後、はじめて『波を聞いてくれ』のアニメをAmazonプライムで見た。見るともなく見ることのできる、酒を飲みながらにちょうどいいアニメだった。
板絵制作をしている2年生の小下図を見る(データで提出されている)と、植物を描いているものが多く見られるので、担当の金子先生とともに、花鳥画についてレクチャーをする。その起源と言える中国の五代十国時代の作家から、日本の江戸、明治、そして現代の作家まで。体系的なものにはできなかったが、ある種の型としてのイメージの歴史的蓄積があり、その上で個々の作家の技術・創意がある、ということ。伊藤若冲、幸野楳嶺、渡辺省亭などの仕事を参照する。
夕方、6限にあたる1年生対象の「日本画考」3回目では、近代以前・以後で作品のあり方がどのように変わったか、という話。それは現代において作品を制作・発表するにあたって必要だと私が考える認識の基盤のようなもの。いま当たり前にしていることが、どのような歴史的な変遷のもとに「当たり前」となったのか。そのルーツを知ることによる作品に対する向き合い方を考えてもらえたらと思っている。板橋区立美術館の江戸絵画展でのユニークな試み、田中武さん、イケムラレイコさんの作品などを参照して考える。
帰宅後、はじめて『波を聞いてくれ』のアニメをAmazonプライムで見た。見るともなく見ることのできる、酒を飲みながらにちょうどいいアニメだった。