本と美術の展覧会vol.3「佐藤直樹展:紙面・壁画・循環」が、6月29日(土)から始まりました。終了は10月20日(日)。作品と向き合う長い時間のはじまりを、担当者として嬉しく思っています。
概要は前回投稿した通りですが、もう少し、個人的なものもここには載せてみたいと思います。佐藤さんにこの企画をご相談していた頃、原稿の日付を見ると2018年11月25日。「展覧会を構成していくにあたり、小金沢さんがどういう意図を持っているのか、教えて欲しい」といった佐藤さんからのご要望があり、書いたテキストです。
その後、時間を経ているために、多少認識の変化は自分の中であるものの、これもまた、展覧会に対するひとつの導入になるかもしれないと思い、アップしたいと思います。
概要は前回投稿した通りですが、もう少し、個人的なものもここには載せてみたいと思います。佐藤さんにこの企画をご相談していた頃、原稿の日付を見ると2018年11月25日。「展覧会を構成していくにあたり、小金沢さんがどういう意図を持っているのか、教えて欲しい」といった佐藤さんからのご要望があり、書いたテキストです。
その後、時間を経ているために、多少認識の変化は自分の中であるものの、これもまた、展覧会に対するひとつの導入になるかもしれないと思い、アップしたいと思います。
企画意図(2018年11月25日)
私にとって佐藤直樹さんは「絵を描く人」だ。しかし人によっては「アートディレクター」「デザイナー」であるだろう。「多摩美術大学教授」「美学校講師」という側面もある。このことを簡単に「多面的」と言ってしまうと認識を見誤る可能性があるが、まず、私が佐藤直樹さんをどのような人として認識しているのか、そのありようを描写してみることから始めてみたい。
私が佐藤さんのことを「絵を描く人」だと考えるのは、印象強い出会い(ただこれは一方的なものである)が、佐藤さんの絵の展示であったからだ。親交のある日本画家・間島秀徳さんが2012年5月美学校で立ち上げた日本画の講座「超・日本画ゼミ」の、ゼミ生による展覧会が2013年4月にdragged out studioで行われていた(「人・物・画」展)。美学校というところは、大学のように(ほぼ)同年代の学生たちによる集まりとは、なりにくい。学歴・年齢・性別不問のそのオルタナティブな学校は、だからこそ、本当にさまざまな人たちが集まっている。立ち上がったばかりの超・日本画ゼミもその例外ではなく、佐藤さんは超・日本画ゼミの受講生(第1期生)だった。いま、佐藤さんから話をうかがったうえで当時を俯瞰的に見ると、その頃は、佐藤さんの中で絵を描くということがどんどん高まっていた時期のことだった。しかし、私自身佐藤さんのアートディレクター、デザイナーとしての仕事をつぶさに知っていたわけではなかったため、間島さんから、「佐藤さんはこういった仕事をされているアートディレクターなんだよ」と教えていただくにとどまっていた。さらにさかのぼると、東日本大震災後まもない2011年11月、私は多摩美術大学上野毛校舎の学祭で、内海聖史さん、梶本博司さん、加納豊美さん、中村隆夫さん、そして佐藤さんが出演されていたシンポジウムを聴講しているのだが、私が「専門」(この意識がまた曲者である)としている「日本近現代美術史」という領域の中で、佐藤さんの仕事を十分に認識する余地が、この頃の私自身になかった。ちなみにこのシンポジウムは、震災後、美術やデザインが何ができるのか?という学生からの声に、先生方がまさしく応答するのもとして企画されていた。佐藤さんもまた、震災を契機にして絵画制作へと重心を移してくのは、後日知ることとなる。
さらに、超・日本画ゼミのグループ展から暫くが経って、半年後の2013年10月、「TRANS ARTS TOKYO」の旧東京電機大学跡地の地下空間で、延々と絵を描いている佐藤さんを見た。作品は今なお制作が続いている木炭壁画《「そこで生えている。」》だ。そこには、小林正人さんをはじめとして佐藤さん以外の作家の作品もあったが、淡々と植物の絵を描き続けているその光景が、今なお強い印象として残っている。多摩美術大学でデザインを教えている方が、地下の水がしみこんでいる、ちょっと普通ではない空間で、ベニヤ板を壁に建てつけ、木炭で植物を描き続けている。その光景の不思議さ・不可解さ。いったい、ここでなにが起こっているのか?
そうして、私にとって佐藤さんは、「絵を描く人」としての認識が上書きされていくことになる(なおTAT2013の作品はその後、《その後の「そこで生えている。」》と区別されるようにして、《はじめの「そこで生えている。」》とタイトルを変更している)。
つまり、私が佐藤さんの本や雑誌のアートディレクション、エディトリアルデザイン等の仕事を具体的に知るようになっていくのは、それら「絵」よりも後のことだった(しかし時系列としては、佐藤さんとしてはアートディレクションやエディトリアルデザインの仕事が、言うまでもなく先んじている)。絵以外の仕事を知るようになるのは、私が2015年から超・日本画ゼミの講師の一人になってからだろうか。佐藤さんはそもそも美学校の菊畑茂久馬絵画教場を修了し、その頃は「絵と美と画と術」講師をしていた。授業の時間が重なるということはなく、美学校内で会うことは基本的にないのだが、同じ場所にいるのだと私自身は一方的な親近感を感じ、そのなかで絵以外の仕事を知っていくことになる。佐藤さんがアートディレクションを担った『ART iT』(2003-2008)は私がまさしく学生時代に創刊され、よく読んでいた雑誌だった。とはいえ、私と佐藤さんとの出会いが、「アートディレクター」、「デザイナー」としてではなく、「絵を描く人」としてであったことは、私にとってはやはり大切なことで、基礎になっているのは疑いようがない。
2015年秋、私は太田市美術館・図書館という群馬県太田市に新たに開館する施設の開設準備の仕事に携わることになった。スパイラル/ワコールアートセンターが総合ディレクションを受託し、展覧会の企画が構想されていたが、そのなかに「本と美術の展覧会」というシリーズがあった。美術館と図書館の複合施設という日本では類例がほとんどないその施設で、「本」そして「美術」をつなげるような展覧会をする。美術と図書の場所だからこそ必然性のあるその企画であったが、具体的な展覧会の構想となると簡単ではなく、「本」というのも私の専門ともちろん重なりはするものの、その領域の広さと深さに対してめまいがしたものだった。展覧会としての明確なビジョンがあったというよりは、そうして大きな風呂敷をひろげる中で、後進の公立美術館としてなにかユニークなことがしたいという思いがあったのは間違いない。一つの案に、タイポグラフィやグラフィックを構成のひとつに組み込んだ展覧会があった。いま企画書を見直してとりわけ目新しい視点によるものではないが、このとき、佐藤直樹さんに、一緒に何かできませんかとご相談したことがあった。
つまりそのときは、(奇妙な言い方だが)いわば文字やデザインに精通した「アートディレクター」、「デザイナー」としての佐藤さんにご相談している。当時とりわけ私にとって興味深かったのは、2010年7月、3331 Arts Chiyodaで行われた、赤瀬川原平さん、大原大次郎さん、そして佐藤さんによる美学校出張特別講義のトークイベント「絵・文字2010」に対するもので、自分が「本」と「美術」を問題にしているように、佐藤さんが(その問題意識と重なるように思う)「絵」「文字」を両方の実践者として考えていることに惹かれていた(ただ、この企画は結局、さまざまな理由で実現しなかった)。
そう、「考える」ということが、佐藤さんと対象(デザインや絵)との関係において大切なのだとよく思う。佐藤さんが話していることや書いていることなどを見聞きすると、佐藤さんはそれらについて常に一歩(あるいはもっと)距離をとり、「それってなんだ?」と考えている(たとえば2017年に佐藤さんがアートディレクションを行った「札幌国際芸術祭」では「『デザインプロジェクト』ってなんだ?」と問いを投げかけている)。終わりが見えない《「そこで生えている。」》からは、絵に対して距離を取るというより没入的にも一見みるが、そのなかでの展開を考えているところを見ると、やはりそれは没入ではない。佐藤さんは、たとえ慣れ親しんでいる場所であっても対象に対する思考を固定させず、考えることによってやわらかにしている。そして、日本画であれ、木炭壁画であれ、アートディレクションであれ、エディトリアルデザインであれ、それらを私はつい別の領域の仕事であると考えてしまいがちであるが、はたして本当にそうなのだろうか、と佐藤さんの仕事を見ていると考えさせられる。すなわち、本や美術、デザインや絵というフレームに対する異議申し立てというか、そういったフレームは本当に有効なのだろうか? という問いである。
「本と美術の展覧会」は、2017年の開館以来、第1弾「絵と言葉のまじわりが物語のはじまり〜絵本原画からそうぞうの森へ〜」では絵本原画と物語(性)、第2弾「ことばをながめる、ことばとあるく––詩と歌のある風景」では言語による表現と視覚表現の共同を大きなテーマとして実施し、美術家、イラストレーター、小説家、詩人など専門の異なる作家たちの話を聞き、議論も重ねる中で生まれた作品と展覧会は、いずれも一筋縄ではいかなかったが、充実した成果をあげ、本と美術というものをめぐって(めぐろうとして)、決して単純ではない、その複雑な回路をひらきつつあるという実感がある。
佐藤直樹さんの個展は、この2回の蓄積を経て、第3弾として構想をはじめたものだ。佐藤直樹さんのこれまでの仕事を、デザインも壁画もある意味ではいっしょくたに、しかし敢えて「本と美術」というフレームのなかでとらえようとしてみること。そうすることで、見えてくるものがあるのではないだろうか。シリーズでははじめての個展として、デザイナーであり、絵描きである佐藤直樹さんという(私にとって)特異なひとの展覧会を実現したい。だがそもそも、デザイナーであり、絵描きであると書いたが、このような言い方がはたして適切なことなのか? ひとは、どちらかにしか属してはいけないのだろうか? そんなことはないだずだ。これは主に近代以降の、芸術のジャンルの細分化や、職能の明確化という点では適切なのだろうと思うが、はたして、そのことと「表現」はどう関わっているだろうか? そして、この展覧会がそうであるように、本と美術をわけて考える必要はあるのだろうか? 問題をねつ造してはいないだろうか?
答えを出したいということではない。しかし、こういった問いを持ちながら、佐藤さんの仕事の全体を展観することが、いまの自分にはない新しい「本と美術」の回路を開くのではないか。それは「本と美術」というフレームを結果として解体するものであるかもしれないし、予想外にその枠組みを強化するものになるのかもしれない。今はまだそれが見えていないが、見えていないからこそその場を作ることが求められていると、私自身は感じている。この私の思いが、しかし自分本位なものでは終わらず、開催予定の2019年、多くの人とも共有可能なこれからの芸術文化をめぐる問いが生まれる場になると信じ、太田市美術館・図書館の本と美術の展覧会第3弾として、「佐藤直樹展:紙面と壁面」を企画・構想するものである。
2019年7月1日、一部加筆・改訂
(当時は「佐藤直樹展:紙面と壁面」が仮タイトルとしてあり、幾たびかの検討を経て「佐藤直樹展:紙面・壁画・循環」となった)
小金沢智
私にとって佐藤直樹さんは「絵を描く人」だ。しかし人によっては「アートディレクター」「デザイナー」であるだろう。「多摩美術大学教授」「美学校講師」という側面もある。このことを簡単に「多面的」と言ってしまうと認識を見誤る可能性があるが、まず、私が佐藤直樹さんをどのような人として認識しているのか、そのありようを描写してみることから始めてみたい。
私が佐藤さんのことを「絵を描く人」だと考えるのは、印象強い出会い(ただこれは一方的なものである)が、佐藤さんの絵の展示であったからだ。親交のある日本画家・間島秀徳さんが2012年5月美学校で立ち上げた日本画の講座「超・日本画ゼミ」の、ゼミ生による展覧会が2013年4月にdragged out studioで行われていた(「人・物・画」展)。美学校というところは、大学のように(ほぼ)同年代の学生たちによる集まりとは、なりにくい。学歴・年齢・性別不問のそのオルタナティブな学校は、だからこそ、本当にさまざまな人たちが集まっている。立ち上がったばかりの超・日本画ゼミもその例外ではなく、佐藤さんは超・日本画ゼミの受講生(第1期生)だった。いま、佐藤さんから話をうかがったうえで当時を俯瞰的に見ると、その頃は、佐藤さんの中で絵を描くということがどんどん高まっていた時期のことだった。しかし、私自身佐藤さんのアートディレクター、デザイナーとしての仕事をつぶさに知っていたわけではなかったため、間島さんから、「佐藤さんはこういった仕事をされているアートディレクターなんだよ」と教えていただくにとどまっていた。さらにさかのぼると、東日本大震災後まもない2011年11月、私は多摩美術大学上野毛校舎の学祭で、内海聖史さん、梶本博司さん、加納豊美さん、中村隆夫さん、そして佐藤さんが出演されていたシンポジウムを聴講しているのだが、私が「専門」(この意識がまた曲者である)としている「日本近現代美術史」という領域の中で、佐藤さんの仕事を十分に認識する余地が、この頃の私自身になかった。ちなみにこのシンポジウムは、震災後、美術やデザインが何ができるのか?という学生からの声に、先生方がまさしく応答するのもとして企画されていた。佐藤さんもまた、震災を契機にして絵画制作へと重心を移してくのは、後日知ることとなる。
さらに、超・日本画ゼミのグループ展から暫くが経って、半年後の2013年10月、「TRANS ARTS TOKYO」の旧東京電機大学跡地の地下空間で、延々と絵を描いている佐藤さんを見た。作品は今なお制作が続いている木炭壁画《「そこで生えている。」》だ。そこには、小林正人さんをはじめとして佐藤さん以外の作家の作品もあったが、淡々と植物の絵を描き続けているその光景が、今なお強い印象として残っている。多摩美術大学でデザインを教えている方が、地下の水がしみこんでいる、ちょっと普通ではない空間で、ベニヤ板を壁に建てつけ、木炭で植物を描き続けている。その光景の不思議さ・不可解さ。いったい、ここでなにが起こっているのか?
そうして、私にとって佐藤さんは、「絵を描く人」としての認識が上書きされていくことになる(なおTAT2013の作品はその後、《その後の「そこで生えている。」》と区別されるようにして、《はじめの「そこで生えている。」》とタイトルを変更している)。
つまり、私が佐藤さんの本や雑誌のアートディレクション、エディトリアルデザイン等の仕事を具体的に知るようになっていくのは、それら「絵」よりも後のことだった(しかし時系列としては、佐藤さんとしてはアートディレクションやエディトリアルデザインの仕事が、言うまでもなく先んじている)。絵以外の仕事を知るようになるのは、私が2015年から超・日本画ゼミの講師の一人になってからだろうか。佐藤さんはそもそも美学校の菊畑茂久馬絵画教場を修了し、その頃は「絵と美と画と術」講師をしていた。授業の時間が重なるということはなく、美学校内で会うことは基本的にないのだが、同じ場所にいるのだと私自身は一方的な親近感を感じ、そのなかで絵以外の仕事を知っていくことになる。佐藤さんがアートディレクションを担った『ART iT』(2003-2008)は私がまさしく学生時代に創刊され、よく読んでいた雑誌だった。とはいえ、私と佐藤さんとの出会いが、「アートディレクター」、「デザイナー」としてではなく、「絵を描く人」としてであったことは、私にとってはやはり大切なことで、基礎になっているのは疑いようがない。
2015年秋、私は太田市美術館・図書館という群馬県太田市に新たに開館する施設の開設準備の仕事に携わることになった。スパイラル/ワコールアートセンターが総合ディレクションを受託し、展覧会の企画が構想されていたが、そのなかに「本と美術の展覧会」というシリーズがあった。美術館と図書館の複合施設という日本では類例がほとんどないその施設で、「本」そして「美術」をつなげるような展覧会をする。美術と図書の場所だからこそ必然性のあるその企画であったが、具体的な展覧会の構想となると簡単ではなく、「本」というのも私の専門ともちろん重なりはするものの、その領域の広さと深さに対してめまいがしたものだった。展覧会としての明確なビジョンがあったというよりは、そうして大きな風呂敷をひろげる中で、後進の公立美術館としてなにかユニークなことがしたいという思いがあったのは間違いない。一つの案に、タイポグラフィやグラフィックを構成のひとつに組み込んだ展覧会があった。いま企画書を見直してとりわけ目新しい視点によるものではないが、このとき、佐藤直樹さんに、一緒に何かできませんかとご相談したことがあった。
つまりそのときは、(奇妙な言い方だが)いわば文字やデザインに精通した「アートディレクター」、「デザイナー」としての佐藤さんにご相談している。当時とりわけ私にとって興味深かったのは、2010年7月、3331 Arts Chiyodaで行われた、赤瀬川原平さん、大原大次郎さん、そして佐藤さんによる美学校出張特別講義のトークイベント「絵・文字2010」に対するもので、自分が「本」と「美術」を問題にしているように、佐藤さんが(その問題意識と重なるように思う)「絵」「文字」を両方の実践者として考えていることに惹かれていた(ただ、この企画は結局、さまざまな理由で実現しなかった)。
そう、「考える」ということが、佐藤さんと対象(デザインや絵)との関係において大切なのだとよく思う。佐藤さんが話していることや書いていることなどを見聞きすると、佐藤さんはそれらについて常に一歩(あるいはもっと)距離をとり、「それってなんだ?」と考えている(たとえば2017年に佐藤さんがアートディレクションを行った「札幌国際芸術祭」では「『デザインプロジェクト』ってなんだ?」と問いを投げかけている)。終わりが見えない《「そこで生えている。」》からは、絵に対して距離を取るというより没入的にも一見みるが、そのなかでの展開を考えているところを見ると、やはりそれは没入ではない。佐藤さんは、たとえ慣れ親しんでいる場所であっても対象に対する思考を固定させず、考えることによってやわらかにしている。そして、日本画であれ、木炭壁画であれ、アートディレクションであれ、エディトリアルデザインであれ、それらを私はつい別の領域の仕事であると考えてしまいがちであるが、はたして本当にそうなのだろうか、と佐藤さんの仕事を見ていると考えさせられる。すなわち、本や美術、デザインや絵というフレームに対する異議申し立てというか、そういったフレームは本当に有効なのだろうか? という問いである。
「本と美術の展覧会」は、2017年の開館以来、第1弾「絵と言葉のまじわりが物語のはじまり〜絵本原画からそうぞうの森へ〜」では絵本原画と物語(性)、第2弾「ことばをながめる、ことばとあるく––詩と歌のある風景」では言語による表現と視覚表現の共同を大きなテーマとして実施し、美術家、イラストレーター、小説家、詩人など専門の異なる作家たちの話を聞き、議論も重ねる中で生まれた作品と展覧会は、いずれも一筋縄ではいかなかったが、充実した成果をあげ、本と美術というものをめぐって(めぐろうとして)、決して単純ではない、その複雑な回路をひらきつつあるという実感がある。
佐藤直樹さんの個展は、この2回の蓄積を経て、第3弾として構想をはじめたものだ。佐藤直樹さんのこれまでの仕事を、デザインも壁画もある意味ではいっしょくたに、しかし敢えて「本と美術」というフレームのなかでとらえようとしてみること。そうすることで、見えてくるものがあるのではないだろうか。シリーズでははじめての個展として、デザイナーであり、絵描きである佐藤直樹さんという(私にとって)特異なひとの展覧会を実現したい。だがそもそも、デザイナーであり、絵描きであると書いたが、このような言い方がはたして適切なことなのか? ひとは、どちらかにしか属してはいけないのだろうか? そんなことはないだずだ。これは主に近代以降の、芸術のジャンルの細分化や、職能の明確化という点では適切なのだろうと思うが、はたして、そのことと「表現」はどう関わっているだろうか? そして、この展覧会がそうであるように、本と美術をわけて考える必要はあるのだろうか? 問題をねつ造してはいないだろうか?
答えを出したいということではない。しかし、こういった問いを持ちながら、佐藤さんの仕事の全体を展観することが、いまの自分にはない新しい「本と美術」の回路を開くのではないか。それは「本と美術」というフレームを結果として解体するものであるかもしれないし、予想外にその枠組みを強化するものになるのかもしれない。今はまだそれが見えていないが、見えていないからこそその場を作ることが求められていると、私自身は感じている。この私の思いが、しかし自分本位なものでは終わらず、開催予定の2019年、多くの人とも共有可能なこれからの芸術文化をめぐる問いが生まれる場になると信じ、太田市美術館・図書館の本と美術の展覧会第3弾として、「佐藤直樹展:紙面と壁面」を企画・構想するものである。
2019年7月1日、一部加筆・改訂
(当時は「佐藤直樹展:紙面と壁面」が仮タイトルとしてあり、幾たびかの検討を経て「佐藤直樹展:紙面・壁画・循環」となった)
小金沢智